Title and badge were introduced on November 28, 1969.
Original Ordinance No. 52 /条例第52号/.
○神戸市名誉市民条例
昭和44年11月28日
条例第52号
(名誉市民)
第1条 市民又は市に縁故の深い者で、公共の福祉の増進又は学術技芸の進展に寄与し、もつて、ひろく社会文化の発展に貢献し、その功績が卓絶する者に対して、市長は、議会の同意を得て、神戸市名誉市民(以下「名誉市民」という。)の称号を贈ることができる。
(名誉市民章)
第2条 名誉市民には名誉市民章を贈る。
(顕彰)
第3条 名誉市民の氏名及びその事績の概要は、市公報に登載して顕彰する。
(待遇)
第4条 名誉市民には、市長の定めるところにより名誉市民にふさわしい待遇を与えることができる。
(委任)
第5条 この条例の施行に関して必要な事項は、市長が定める。
附 則
この条例は、公布の日から施行する。
Since its introduction in 1969 only 9 persones were granted the title.
Here they are.
原口 忠次郎(はらぐち ちゅうじろう)
明治22年生まれ
昭和44年12月27日称号贈呈
昭和51年3月22日逝去
昭和24年に神戸市長就任以来、5期20年の長きにわたり市政を担当し、全国に先がけた数々の新しい事業により、国際港都としての神戸百年の繁栄の基礎を固めるとともに、明るく住みよい神戸のまちづくりに尽くすなど、地方自治の確立、進展に寄与されました。
小磯 良平(こいそ りょうへい)
明治36年生まれ
昭和58年12月21日称号贈呈
昭和63年12月16日逝去
神戸が生んだ我が国洋画壇の重鎮であり、はやくから優れた画才を示し、長年にわたって人物画を主とする数多くの秀作を神戸において制作、発表し続け、本市はもとより、我が国全体の文化の向上、発展に多大の貢献をされました。昭和58年11月には文化勲章を受章されました。
中井 一夫(なかい かずお)
明治22年生まれ
平成元年2月28日称号贈呈
平成3年10月18日逝去
神戸市長、兵庫県議会議員、衆議院議員、神戸弁護士会会長等の要職を歴任し、長年にわたり国政及び地方自治と地域の発展のために寄与されました。特に、終戦直前の混乱期に神戸市長に就任するやその卓抜した手腕により、戦災で廃墟と化した市街地の復興の端緒を開き、今日の神戸の礎を築く大きな原動力となりました。
宮崎 辰雄(みやざき たつお)
明治44年生まれ
平成2年11月21日称号贈呈
平成12年2月22日逝去
半世紀以上にわたり、一貫して神戸市政に携わり、豊富な行政経験と先見的な手腕をもって、神戸市政を推進されました。特に、昭和44年から5期20年の永年にわたり神戸市長を務め、新たな時代に向けた都市経営理念に基づく各種の施策は、神戸市勢の振興に大きく寄与するとともに、地方自治の範として、他の自治体に多大の影響を与えました。
朝比奈 隆(あさひな たかし)
明治41年生まれ
平成6年11月21日称号贈呈
平成13年12月29日逝去
大阪フィルハーモニー交響楽団を創立し、豊かな音楽性とすばらしい構成力により、世界的指揮者として確固たる地位を築かれるとともに、多くの要職を務め、日本の音楽界の振興に尽力されました。長らく神戸市に在住され、神戸市民文化振興財団理事、神戸国際フルートコンクール審査委員長など、神戸市の文化関係の要職も歴任され、神戸の市民文化の向上及び発展に多大の貢献をされました。
笹山 幸俊(ささやま かずとし)
大正13年生まれ
平成14年9月17日称号贈呈
平成23年12月10日逝去
半世紀以上にわたり、神戸市政に携わり、優れた行政手腕と献身的な努力により、神戸市政の発展に多大な貢献をされました。平成元年から3期12年にわたり神戸市長を務め、特に平成7年の阪神・淡路大震災では、都市計画を熟知し、神戸のまちを知り尽くした豊富な経験と卓越した手腕を生かし、短期間で復興施策を実現されました。
井村 裕夫(いむら ひろお)
昭和6年生まれ
平成26年12月1日称号贈呈
阪神・淡路大震災からの復興特定事業の一つである神戸医療産業都市構想の起草段階から中心的な役割を果たし、平成10年の神戸医療産業都市構想懇談会では座長として基本的枠組を確立、平成11年からの神戸医療産業都市構想研究会では会長として構想具現化の方向性を示されました。先端医療振興財団理事長として、神戸医療産業都市を先導する中心的な役割を果たし、神戸医療産業都市の礎を築くとともに、その発展に多大な貢献をされました。
矢田 立郎(やだ たつお)
昭和15年生まれ
平成26年12月1日称号贈呈
平成13年11月から3期12年にわたり、神戸市長として、震災復興事業の完遂、市民が安心して暮らすことができるまちづくりに邁進されました。その中で、市民、事業者、市の役割分担を見直すとともに、行財政改革に取り組み、破綻寸前だった市財政の回復を成し遂げられました。さらに、神戸市の発展の基盤となる神戸医療産業都市構想を推進し、全国有数のバイオ・メディカル・クラスターへの発展に寄与されました。
本庶 佑(ほんじょ たすく)
昭和17年生まれ
平成31年2月20日称号贈呈
分子免疫学の分野において様々な功績を残すとともに、平成30年にはノーベル生理学・医学賞を受賞するなど、日本の医学の向上に多大な貢献をされました。また、神戸医療産業都市の基本的枠組みの確立に尽力するとともに、平成12年に先端医療振興財団理事,平成27年に同財団理事長に就任し、同財団の神戸医療産業都市推進機構への発展的改組などを推し進め、神戸医療産業都市のさらなる発展に多大な貢献をされました。